「俳優村」のインド伝統舞踊「Kuchipudi」- インド文化圏の音楽(24)

前回、インドで最古の舞踊と言われる「オリッシー」について触れましたが、他の伝統ダンス動画を見てみました。

ヒップホップ「Juju On That Beat」をインド風にアレンジした曲に合わせて、2人の女性ダンサーが「オリッシー」と「Kuchipudi」の2種類のダンスを披露。

こちらが原曲のヒップホップ

Juju On That Beat
歌手 : Zay Hilfigerrr & Zayion McCall
公開 : 2016年11月2日
wikipedia

インドのアレンジは、歌詞なのか「ボイパ」なのか?

「Jhe Jhe Kitataka taa」というインドサウンドだと説明がありましたが

たけた たけた たけた たけた

じぇ じぇ きたたか たー

衝撃的なインドサウンドに唖然としながらも、結構癖になりそう?!

On That Beat Dance Off: Kuchipudi Odissi Dance

ダンサー Mandara B.S. (Kuchipudi) & Ananya Sinha (Odissi)
チャンネル IndianRaga
公開 2018年5月12日

「Kuchipudi」ダンスは、アーンドラ・プラデーシュ州にある「Kuchipudi」村に起源があるようです。「オリッシー」はオリッサ州のダンス。

アーンドラ・プラデーシュ州 オリッサ州
IN-AP IN-OR
By Filpro (File:India grey.svg)
[CC BY-SA 4.0 ],
via Wikimedia Commons
By Filpro (File:India grey.svg)
[CC BY-SA 4.0 ],
via Wikimedia Commons

「Kuchipudi」村は、正式名「Kuchelapuram」または「Kuchilapuri」の略ですが、

サンスクリット語 意味
Kusilava 旅の吟遊詩人、ダンサー
Kusilava-puram 俳優の村(the village of actors)

上の表の「俳優の村/Kusilava-puram」が村の名前になったとも言われているようです。

歴史的にも、「Kuchipudi」は劇団が村々を渡り歩いてヒンズー寺院の横のステージで披露していた「ダンス劇」なので、その劇団の拠点が「Kuchipudi」村だったのかもしれません。

「Kuchipudi」は、13世紀に「ジャヤデヴァ」の叙事詩「ギータ・ゴーヴィンダ」関係の芸術を保護した領主たちによって発展したようです。

ヒンドゥー教とイスラーム教が共存できる寛容な宗教政策を取り、王も「ヒンドゥーの王にしてスルターン」と呼ばれている間は「ダンス劇」も続いていたようですが、アウラングゼーブがムガル帝国の第6代君主になると、これまので宗教寛容政策を改め、ヒンドゥー教徒を徹底的に弾圧し、イスラーム教徒に対しても厳格さを求めたようです。

アウラングゼーブは自身が手本となるよう、祈りや断食、その他イスラーム教の義務をも厳守することを実行し、宝石など身に着けずに羊毛や綿の衣服といった質素な服装のみを着付けていた。彼はその側近にもこれを厳しく要求し、デリーとその近郊においてこれらは厳格に保たれていた
アウラングゼーブ#厳格な宗教政策(Wikipedia)

さらに彼は、公での音楽とダンスを禁止し、楽器も没収したようです。

その彼の宗教厳格化政策と版図拡大戦争のためにムガル帝国は弱体化し、「Kuchipudi」村のあるアンドラ地方はイギリスの植民地とされてしまう。

今度はキリスト教宣教師とイギリス帝国がインドの伝統舞踊を

売春婦、低俗なエロ文化、偶像と祭司の奴隷
"harlots, debased erotic culture, slavery to idols and priests"
Kuchipudi#Colonial rule period (Wikipedia)

だと見なし、1892年にキリスト教宣教師が「anti-dance movement」を始め、1910年にイギリス帝国マドラス管区が寺でのダンスを禁止したようです。

しかし、多くの人が弾圧にもくじけないで、インド伝統舞踊を復興させ、その過程で男性だけで踊っていた「Kuchipudi」にも女性が参加するようになったようです。