作者:千観(918年 - 984年)
娑婆の界(さかい)の | 西の方 | 十万億の | 国すぎて | |
浄土はありつ | 極楽界 | 仏はいます | 阿弥陀尊 | |
七重行樹 | かげ清く | 八功徳水 | 池すみて | |
苦・空・無我の | 波唱え | 常・楽・我・浄の | 風吹きて | |
天の音楽 | 雲にうつ | 黄金の沙(すな) | 地にしきて | |
昼夜六時に | 迎えつつ | 宝の蓮(はちす) | 雨ふりて | |
孔雀・鸚鵡(おうむ)の | 声々に | 妙法門を | となうれば | |
衆生聞く者 | おのずから | 仏・法・僧を | 念ずなり | |
仏の光 | きわもなく | 聖の寿(いのち) | はかりなし | |
誓いは四十八 | 大願 | 心一子の | 大慈悲は | |
十悪五逆 | 謗法等 | 極重最下の | 罪人も | |
一たび南無と | 称うれば | 引接(いんじょう)さだめて | 疑わず | |
浄土十方 | おおけれど | 極楽われら | 縁ふかし | |
仏は三世に | 在(まし)ませど | 弥陀は我等に | 契(ちぎり)あり | |
一日二日の | 真心に | 弥陀の御名を | 称うれば | |
大悲の誓い | あやまたず | 九品蓮台 | さだまれり | |
生れ生るる | 人はみな | 菩提不退の | 菩薩衆は | |
一生補処の | その中に | 算数(さんじゅ)も算(かぞ)え | 知りがたし | |
我らがこの身 | 楽しまん | 弥陀の誓いに | 救われて | |
来世は蓮(はちす)の | 上にして | この身は聖(ひじり)を | 友とする | |
人身ふたたび | 受け難(がた)し | 仏教あう事 | 稀なるに | |
みな人心(こころ) | ひとつにて | 弥陀にはつかえ | 奉(たてまつ)れ | |
望みの位 | 春の夢 | 楽しみさかえ | 水の泡 | |
はしり求めて | なすほどに | わが身三途に | 落ちぬべし | |
三途に入りと | 入りぬれば | 無量劫にも | 出でがたし | |
たまたま人の | 身を受けて | 栄花ののぞみ | またふかし | |
およそ輪廻の | きわ無きは | このこと一つに | よりてなり | |
弥陀の誓いの | 無かりせば | 我らは浮かむ | 時なけん | |
釈迦牟尼仏 | この由(よし)を | 説きおきたまわず | なるならば | |
多くの生死 | 過ごしきて | 長夜の闇に | 迷いけむ | |
帰命頂礼 | 釈迦尊 | 五濁悪世の | 能化の主 | |
大悲我らを | 捨てずして | 三途の苦しみ | ぬき給う | |
帰命頂礼 | 弥陀尊 | 極楽界会(ごくらくかいえ)の | 能化の主 | |
たとい罪業 | 重くとも | 引摂(いんじょう)かならず | 垂れ給え |