三尊来迎和讃

作者(推定):源信(942年 - 1017年)

摂取不捨の 光明は 念ずるところを 照らすなり
観音・勢至の 来迎は 声をたずねて 迎うなり
娑婆の世界を 厭(いと)うべし 厭(いと)えば苦海を 渡りなん
安養界をば 願うべし 願えば浄土に 生まるべし
草の庵は 静かにて 八功徳池に 心澄み
夕べの嵐 音なくて 七重宝樹に 渡るなり
臨命終の 時至り 正念違わず 西に向き
頭(こうべ)を傾け 手を合わせ いよいよ浄土を 欣求せん
聞けば西方 界のそら 伎楽歌詠 ほのかなり
見ればみどりの 山の端に 光雲遥かに かがやけり
この時身心 やすくして 念仏三昧 現前し
毫光わが身を 照らしつつ 無始の罪障 消滅す
光雲ようやく 近づきて 瞻仰(せんごう)すれば 阿弥陀尊
相好円満 したまいて 金山王の ごとくなり
烏瑟(うひつ)たかく 現れて 晴れの天(そら)にぞ 緑なり
白毫右に めぐりてぞ 眉の間に かがやけり
管弦歌舞の 菩薩がた 雲に袖を ひるがやし
持幡供花(じばんくけ)の 荘厳は 風に任せて 乱れたり
観音勢至 諸菩薩は 光りのうちに 満ちみてり
おのおの威徳 あらわれて 声々行者を 誉めたまう
眼(まなこ)に満てる 慈悲の色 落つる涙も とどまらず
耳に聞ゆる のりの声 歓喜の心 いくばくぞ
すなわち紫雲 たなびきて 柴の戸ぼそに たちめぐり
恒沙の衆会 もろともに 前後左右に 降りたまう
庵のうちには 諸化仏 星をつらねて 影向(ようごう)し
苔のにわには 諸聖衆 光を並べて 長跪(ちょうき)せり
伎楽の菩薩も この時に 踊躍歓喜 やすからず
絲竹(しちく)のしらべ 雲を分け 徘徊よそおい 地を照らす
ときに大悲 観世音 漸く歩み ちかづきて
紫磨黄金(しまおうごん)の 身を屈(まげ)て 蓮台かたぶけ 寄せたまう
つぎに勢至 大薩埵(さった) 聖衆同時に 讃嘆し
大定智悲の 手を延べて 行者の頭(こうべ)を なでたまう
遂に引接(いんじょう) したまいて 金蓮台に のせたまう
輪廻生死の ふるき里 この時永く 隔たりぬ
すなわち金蓮 台に乗り 仏のうしろに 随(したが)いて
須臾(しゅゆ)の間を ふるほどに 安養浄土に 往生をす
昔は大悲の 利益(りやく)をば わずかに伝え 聞きしかど
今は阿弥陀の 引接(いんじょう)を 心のままに 蒙(こうむ)れり
しかるに弥陀の 浄土は 快楽(けらく)不退の ところにて
寿命も無量に 長ければ 楽しみ尽くる ことぞなき
三十二相 そなわりて 荘厳端正(たんじょう) 殊妙なり
六通三明 さとり得て 心のごとく 自在なり
上(かみ)は有頂の 雲のうえ 下(しも)は無間の 底までも
苦海の郡類 ことごとく 利益(りやく)普(あまね) ほどこせり
願わくば 弥陀・観音 行者の誓いを 憫念し
大悲誓願 あやまたず 来迎引接(いんじょう) たれたまい
願わくば この功徳を 普(あまね)く衆生に 施して
同じく心を 起しつつ 安楽国に 往生せん

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