教祖の絶対性を否定

ディーガ・ニカーヤ(長部)

「わたくしは修行僧のなかまを導くであろう」とか、
あるいは「修行僧のなかまはわたくしに頼っている」と
このように思う者こそ、修行僧のつどいに関して何ごとかを語るであろう。
しかし向上につとめた人は
「わたくしは修行僧のなかまを導くであろう」とか、
あるいは「修行僧のなかまはわたくしに頼っている」とか
思うことがない。

~中略~

「それ故に(アーナンダよ)、
この世で自らを島とし、自らをよりどころとして、
他人をよりどころとせず、
法を島とし、法をよりどころとして、
他のものをよりどころとせずにあれ。」

庄松ありのまま記

「仏照寺様も、得雄寺様も、御浄土は持てござらぬ、
其の持てござらぬ、人の言う事に迷わずと、
御浄土を持てござる、仏の仰せに順(したが)ふより、
外に手はない」
(「讃岐妙好人庄松ありのまま記」永田文昌堂刊-p.15)

妙好人お園

「そうそう
御飯を食うて生きてござる御方が分かったら大騒動、
分からぬでこそ不思議と云うがなあもうし」
(「妙好人お園」法蔵館-p.39)

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