1801-1856 山口県下関市六連島
よしこの節
| しんの領解は清水のながれ | 朝夕ちかよる慈悲の海 |
| 我身領解は夕立雨よ | 土(もと)のいらきにたまりやせん |
| 自力分別めくらのづきん | 意見しられぬ身のつらさ |
| みれば見事な敬ひぶりや | 信がないのが玉にきず |
| 愚痴の闇路で暮せしものを | ふだん照しのみとなりて |
| 夢の浮世をきらくで暮す | 忘れられぬが祖師の恩 |
| 広い世界に山多けれど | わすれられぬが有乳山(あらちやま) |
| しんくさしたりかんなんくろう | こころむつれのわしゆえに |
| 忘れまいぞと思はせねど | わすれられぬが祖師の恩 |
| 海や山にもすぐれし御恩 | わすれられぬが祖師の恩 |
| おかるおかるとゆりおこされて | あいと返事もあなたから |
| 都ちかより悦びまさる | 忘れられぬが祖師の恩 |
都々逸
| 聞いてみなんせまことの道を | 無理なおしへじゃないわいな |
| まこときくのがおまへはいやか | なにがのぞみであるぞいな |
| 自力はげんでまことはきかで | 現世いのりにみをやつす |
| 思案めされやいのちのうちに | いのちをわればあとじあん |
| 領解すんだるその上からは | ほかの思案はないわいな |
| ただでゆかれるみをもちながら | おのがふんべついろいろに |
| をのがふんべつさつぱりやめて | 弥陀の思案にまかしやんせ |
| わしがこころは荒木の松よ | つやのないのをおめあてに |
| きのふ聞くのも今日またきくも | ぜひにこいよのおよびごへ |
| 重荷せをうて山坂すれど | 御恩おもへば苦にならず |
| たかい山からお寺をみれば | 御恩とふとやたからやま |
| たから山には足手をはこぶ | むなしかへりをせぬやうに |
| まことしんじつ親さまなれば | なにのえんりよがあるかいな |
| おもてみなんせよろこぶまいか | まるのはだかをしたてどり |
| どんざきるともおゆわれきけば | きぬやこそでをきるこころ |
| きちがひ婆々じやとゆわれしわしも | やがて浄土のはなよめに |
和歌
| 六つれがみ | とかす大悲の | 誓ひゆえ | おもきわさりも | いとどかるがる |
| ああうれし | みのりの風に | みをまかせ | いつもやよいの | ここちこそすれ |
| よきこころ | あるかとむねを | たづぬれば | ただはづかしの | 心ばかりぞ |
| 何事を | 聞くにつけても | 祖師の恩 | 弥陀のお慈悲を | しらせたまへば |
| ありがたや | 心の内に | 咲く花は | みやま桜で | 人はしらねど |
| なきあとに | かるをたづぬる | 人あらば | 弥陀の浄土に | 行たとこたへよ |
詠歌
| こうも聞えにや | 聞かぬがましよ |
| 聞かなおちるし | 聞きや苦労 |
| いまの苦労は | さきでの楽と |
| 気やすめいえど | 気はすまぬ |
| すまぬこころを | すましにかかりや |
| 雑修自力と | すてられる |
| すてて出かくりや | なほ気がすまぬ |
| 思えば有念 | おもわにや無念 |
| どこにお慈悲があるのやら | |
| どうで他力になれぬ身は | |
| 自力さらばとひまをやり | |
| わたしが胸とは手たたきで | |
| たった一声聞いてみりや | |
| この一声が千人力 | |
| 四の五のいうたは | むかしのことよ |
| ぢやとて地獄は | おそろしや |
| なんにもいわぬが | こつちのねうち |
| いかなるおかるも | 頭がさがる |
| 連れて行こうぞ | 連れられましよぞと |
| 往生は | なげたなげた |
参考文献
『お軽同行物語』(大洲彰然著:百華苑)