1782-1856 島根県浜田市下有福町
| この善太郎は |
| 生々世々初事(しょうじょうせぜはつごと)に |
| あわれのお慈悲かたまりの |
| ご開山善知識の |
| 聞けよ聴聞せよのご意見を |
| この善太郎は |
| 耳にお聞かせに遇うてみれば |
| 久遠劫のいにしえから、死にゆく臨終まで |
| この善太郎がすることなすこと |
| 心に思うことも、口にゆうことも、目に見えることも |
| 耳に聞くことも、手でなすことも、足になすことも |
| みなことごとく、今この世を未来にかわしたら |
| ことごとくみな、悪になる |
| この罪とがの報いをうけて |
| 今ここで、この世が未来にかわしても |
| おそろしや、おそろしや |
| この罪とがをかかえておるゆえに |
| 十方三世の諸仏にも |
| この罪とがかかえたものは、 |
| 仏法の器にもよう入れんと・・・ |
| 除けるとのご意見ぞ、 |
| お聞かせに遇うてみれば、 |
| おそろしや、おそろしや |
| この罪とがの報いをうけて |
| 今ここで、この世を未来にかわしても |
| この善太郎 |
| 地獄、餓鬼、畜生道苦しみをうけて |
| この三悪道を、千劫万劫・・・ |
| 浮かぶことはならんとのご意見・・・ |
| イボでついたほどもないとのご意見 |
| そのうえに、苦より苦に入り |
| くらきよりくらきに入り |
| 苦しみより苦しみに入りて、 |
| 泣いて無量劫 |
| この善太郎は |
| いがる(泣き叫ぶ)ばかりとのご意見 |
| 親とよぶ人もなし、子とよぶ人もなし |
| 妻とよぶ人もなし、夫とよぶ人もなし |
| 友だち朋友とゆうもなし |
| 日輪のお照らしもなし |
| お月さまのお照らしもなし |
| 星のお光りもなし |
| まことにまことに、あわれ千万のこと |
| この善太郎は |
| この大暮れの真暗がりに、責めにおうて |
| ただひとり、幾万劫泣いていがりて |
| 苦しみをうえることとのご意見 |
| この善太郎は |
| 生々世々初事に |
| あわれのお慈悲かたまりの |
| ご開山善知識の |
| 聞けよ聴聞せよのご意見を |
| この善太郎が |
| 耳にお聞かせに遇うてみれば |
| 阿弥陀如来のあわれみ不憫とおぼしめして |
| 死にゆく未来、後生の一大事は |
| まるでまるで、この阿弥陀如来が引きうけて |
| 助けてやろう、救うてやろう、参らせてやろうご意見とは |
| この善太郎は |
| 生々世々の初事よ |
| うれしや、とうとうや、もったいなや |
| ただ今ここで、この世を未来にかわしても |
| 三悪道に落ちて浮かぶことのならんとのご意見 |
| この善太郎を |
| ・・・の仏にしてやろうのご意見とは |
| ありがた、うれしや、もったいなや |
| この善太郎 |
| なむあみだぶつ |
| この念仏、この善太郎のいのちのあらんかぎりは |
| ご恩報尽仏として、ねてもさめてもとのうべきものなり |
| この善太郎 |
| 下有福の善太郎の |
| 七十四の歳、十一月十一日にこれを書く |
| 姉金の釜田にて書いたもの |
| 金剛の信心ばかりにて |
| ながく生死をへだてける |
| この善太郎が |