審判か?AIか?クロアチア「愛を燃やせ」- スラブの歌と言語(104)

ロシア・ワールドカップはフランスが優勝し、MVPはクロアチアのモドリッチ選手になりました。

そこで歌はクロアチアの「Upalimo ljubav」

意味は「愛を燃やせ/Let's Turn On The Love」

(Wiktonary:upaliti)

UPALIMO LJUBAV

歌手 LANA JURČEVIĆ & LUKA BASI
公開 2018年5月24日

歌詞翻訳サイト LyricsTranslate

最も活躍した"もの"は「VAR」だったかも?!

その「VAR」から未来のワールドカップで、日本代表がアドバンテージを持てる可能性を考えてみました。

「VAR」が変えたのが「マリーシア」の無効化!!

日本人には「マリーシア」が足りないと指摘されて"うん十年"、今だに欧米に比べて身に着かないのは、おそらく文化的に合わないからではないだろうか?

ただし「マリーシア」を次のように分類し

①相手の意表を突く、相手の裏をかく「マリーシア」

②審判をだます「マリーシア」

上記2つの内、②の「審判をだます」行為である「マリーシア」のみに限定して考えています。

サッカーが文化を反映し、文化の深層・根幹に宗教があるとすれば、サッカーはその国の宗教との相性によって、強弱が左右されると仮定します。

これまでのサッカーを宗教文化的に大雑把にとらえると

「バイブル(ルール)があって、審判(God)がいて、信者がプレイしていた。」

そして「審判をだますマリーシア」が成立していた。

このサッカーだと、有利なのはアブラハムの宗教(ユダヤ・キリスト・イスラム)の社会で、それ以外の社会(インド・中国・日本・東南アジアの仏教圏)は不利になると考えられます。

この仮説から、特にカトリックの国でペレ、マラドーナ、メッシ、ロナウドなどのメシア的プレーヤーが多く誕生し、歴史的に免罪符(カトリックのマリーシア?)が普及したことも、どこかピンとくる感じもします。

ここでフィンランドの歌「マラドーナ」

(MVのシチュエーションは、クラスメイトのカップルと、その女性の兄貴が、1986年のワールドカップでマラドーナが"神の手"ゴールをする試合を見ている。兄貴も"神の手"で邪魔をした?)

Maradona

歌手 Teflon Brothers
公開 2014年7月4日

歌詞翻訳サイト LyricsTranslate

そこで「VAR」様のご登場です。

もちろん「VAR」だけでは「審判」はまだ必要ですのが、「VAR」が未来の「AI」判定につながれば、「審判」は不要となり、「進行役・調整役・指揮者」的な役割に変ってゆくでしょう。

結果、

「バイブル(ルール)があって、審判(God)がいて、信者がプレイしていた。」

「マニュアル(ルール)になって、良心に従って、アーティストがパフォーマンスをする。」

というエンターテインメント性が強くなるとします。

「愛を燃やせ」の歌詞にインド文化圏の言葉「カルマ/業」や「マントラ/真言」が出てくる。

わたしの「カルマ」はあなただけ

moja karma si samo ti

あなたの名前は私の「マントラ」のようだ

Tvoje mi ime ko mantra

審判が勝敗に影響を及ぼすサッカーから、自らの行為(カルマ/業)だけが勝敗を決めるサッカーへ変わっていけば、日本もサッカーとの相性が良くなって、上位に進む確率が上がるかもしれません。

この仮説に立てば、日本代表の効果的な強化策は「AI」のある判定への速やかな移行ということになります。

審判(God)宗教社会ではない地域が力を合わせて「審判からAIへ」を推進していったら面白そうだと思ったんですが、ヨーロッパではオランダなどで「Godを信じる人」が急速に減っているのも見逃せません。

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